人は自分の過ちを認め、それを恥じることなく謝罪することができるはず。
逆の立場の場合、たとえば「疑わしい」ことを「問う」ような場合もある。
そんな場合も、それを恥じる必要はない。
これは、個人の場合だけではなく、組織や会社の立場であっても同じだ。
疑わしければ、問いただす。
過ちを指摘されたら、それを認める。
こんな単純なことが、今は、できないために、事態を悪化させている。
僕たちはできるはず。
人は完璧ではないのだから。
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