2013年12月29日

実は「年賀状」で交換するもの

年賀状をやっと作ったよ。

1枚1枚、宛名を見ながら、これまでのことを思い出していた。

年賀状を出す枚数ともらう枚数が徐々に減ってくる年齢になってきたのだと「つくづく」思った。

しかし、それにしても「年賀状と言うシステム」はよいシステムだ。

1年に1回でもいいから、友人たちを思い出す。(こんな頻度でしか思い出さない人でも友人だよね?)

たった一言を1年に1回、やりとりする。

それぐらいでもいいのかも。

「LINE」をすぐに読まないと「いじめられる」ことよりもはるかに良い(比較することができないぐらい)。

実は、1年に1回の短い言葉でも生きる勇気を交換できるんだよ。

posted by ホーライ社長 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 社長の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉田拓郎と小田和正の夢の共演

小田和正さんが司会、プロデュースをしている「クリスマスの約束」が好きで、毎年見ている。
    ↓
http://www.tbs.co.jp/hot-jyouhou/201312051550.html

今年はなんと!!

吉田拓郎がゲストに出てきて、小田さんと二人で「落陽」「リンゴ」「今日までそして明日から」「人生を語らず」を歌った。

涙が出てきた。

こういう共演ができるようになったのも、二人とも「歳をとった」からだね。

とても、いい番組だったよ。

昔なら、拓郎のファンなら「オフコースなんて」と思っただろうし、小田さんのファンなら「吉田拓郎はちょっと。。。。」というところだ。


その拓郎と小田さんが二人で向かい合いながらギターを弾き、ユニゾンであるいはハモリながら拓郎の「今日までそして明日から」等を歌っていた。

「時間」は何事にも「許す」という行為をもたらせてくれる。

posted by ホーライ社長 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 社長のため息 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月19日

親が一番悲しむのは

ある方から下記のメールを頂いた。

**********
『親が一番悲しむのは,自分の健康(病気,死亡,看病等)が原因で子供(含:伴侶)が健康を害すること』との事です。
**********

確かにね!

最近、さすがにメンタル的にもフィジカル的にも母の件できつくなってきたところだった。

自分の健康は自分で管理するしかない。

母のためにも、自分の健康を維持できるように生活面を見直すことにした。

とりあえず「仕事のやり過ぎ」は今すぐ、やめだ。

ふー、リラックス、リラックス、と。

posted by ホーライ社長 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

車いすを見ると・・・・・・

今まで、車いすの人を見ても何も感じなかったけれど、母が車いす生活をするようになってからは、「あ、この人はどこが不自由なのんかな?」なんて思うようになってきた。

人間なんてそんなもんだ。

自分がそういう立場になってみないと、不自由な人の気持ちや状況に思いを馳せることがない。

母を車いすに乗せ、病院の中を「散歩」するようになって、初めて、会社近くで車いすの方を見ると、その人の状況を考えられるようになった。

少しは、僕も学ぶようになったようだ。


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2013年12月17日

総合機構の「GCP」研修、毎度のことながら

総合機構の「GCP研修」を受講した人たちの研修を聞いた。

機構から指摘される事項は、毎年、毎年、同じことばかりだ。

クライテリア違反。

併用禁止薬の使用。

不適切な同意取得時期。

・・・・・・・・など等。

指摘される上位2割の項目が、全ての指摘項目の8割を占める、というパレートの法則がここにもあてはまる。


だから、その2割の項目を徹底的に注意すれば、総合機構からの指摘の8割は無くなる。

問題は、どう注意させるか、だ。


リーダーの手腕が試されるところだ。

研修を担当する講師もね。同様だ。


少しは学習しようね。

お互いにね。


posted by ホーライ社長 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 社長の泣き言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月15日

母の手を握り締める

脳梗塞で倒れた母の手を握って話すようにしている。

小さくて皺が刻まれた手。

僕と弟を育ててくれた手を握りながら、母に話しかける。

言語障害になってしまったが、僕のくだらない冗談は分かるようで、顔をしわくちゃにして笑う。

看護師さんが「やっぱり家族の方が話しかけると違いますね」と言った。

84歳の母の手を握りながら話しかければ、少しでも言葉が通じると信じて話している。

言葉を発することができなくなった母だが、笑顔だけは見せてくれる。

84歳になっても、間違いなく、僕の親なのだ。

posted by ホーライ社長 at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

まだ夢の途中だから

まだ夢の途中だから。

新潟には帰れない。

まだ夢の途中だから。

東京にいることにする。

旅の目的地に近づいてきた父母も気にかかるが、夢の途中だから。

せめて親不孝にならないように、せっせと電話をかけ、せっせと帰省する。


それが僕の旅だから。

僕たちは、まだ、旅の途中だよね?

夢の坂道を僕は登って行く。
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2013年12月12日

「詩人」って職業?

僕は昔、中学生の頃から、「詩人」になりたかった。

ところで、「詩人」になる、というのはどういうことだろう?

それは「薬剤師」になる、というのと種類が違う。

「薬剤師」は「職業」だ。

ならば、「詩人」は職業ではないのだろうか?

もし、「詩」を書いて「お金」を稼いでいれば、それは職業だろう。

でも、世の中にはお金を稼げない自称「詩人」も多い。

「詩」を書いていれば、きっと、その人は「詩人」と言える。

人は誰しも恋をすれば詩人になる、と誰かが言っていた。


僕は職業としての詩人になれなかったけれど、人生の生き方として詩人のつもりだ。

詩人として生きると決めれば、たとえ詩を書かなかったとしても、その人は詩人なのだ。

立ち姿の美しい、詩人になりたい。
posted by ホーライ社長 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社長の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月11日

限られている時間だからこそ

僕は新潟で生まれ育った。

今、その実家には父親だけが暮らしている。

母は11月の末に入院。

実は、昨年から、僕は毎日、新潟に住む両親に電話をかけるようにしている。

電話の目的は「安否」を確認するためと「あと何回、親と話すことができるのだろうか」という気持ちからだ。

両親はともに84歳。

限りある機会を失わないように、毎日電話をし、2か月に1回は帰省していた。

お互い、生きているうちに「バカ話」でもして、笑っていたいものだ。

「死」とは「会えなくなる」ということなのだから。
posted by ホーライ社長 at 04:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月08日

危篤状態からの奇蹟的復活(2)介護保険申請の簡略化を

脳梗塞の後遺症で言語障害に陥った母だが、僕の冗談には笑うようになった。

発作直後の危篤状態を考えると、信じられないくらいの回復で喜んでいる。

今後の予定としてはリハビリのための施設に入る。

そのための準備として「介護保険」の申請したり、「要介護認定」などの申請が必要なのだが、この手続きが煩雑だ。

こういう介護の手続きは当人の子どもたちが行うのが前提になっているね。

要介護の配偶者などのような高齢者には無理だなと思った。

今後の日本は高齢化が進むけれど、この手の手続きは簡略化して欲しい。
posted by ホーライ社長 at 05:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月05日

危篤状態からの奇蹟的復活だが

先々週、母が脳梗塞で危篤状態に陥った。

朝、4時に病院からの電話で起こされた。

すぐに始発の新幹線で新潟へ。

母は意識がない。

その後、3日間、父と僕とで24時間交代で病室に泊まり込みで看病。

その甲斐あってか、とりあえず危篤状態は無事に乗り越えて、一命を取り留めた。

しかし、脳梗塞の後遺症で右半身の麻痺と言語障害になった。

「要介護状態」となったわけだ。

それにしても、生命の強さに驚いた。

3日前は危篤状態だったのに、3日目にはゼリー状の食事ができるように。

今では自分で(左手で)、食事を取れるまでになった。(半分以上、こぼすけれどね。)

年老いた父親も新潟で一人暮らしになった。

父親の無事を確認するために、毎朝8時と夕方6時に必ず、電話することにしている。


これから、僕に介護という大きな課題がのしかかってきたわけだ。

誰もが避けては通れない道だ。

posted by ホーライ社長 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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